「安積の森」を守ろう!
岐阜県各務原市蘇原野口町という所に「安積の森」といわれるところがあります。
各務原市の史跡では「中世館遺跡」といわれています。
確かに、土塁と堀に囲まれて矢倉を構えており、中世の武士の館の典型ですが、その歴史は古代にさかのぼります。奈良時代にはここに国衙がありましたが、飛鳥時代には蘇我馬子の一族が治めていました。「蘇原」という地名はその名残ですが、近くには「飛鳥」「各務」「須衛」という地名も残っています。当然、当時の須恵器も多数発掘されています(今でも写真の畑には青海波紋の須恵器破片が散らばっています)。
近くの宮塚古墳は蘇我馬子の孫にあたる石川麻呂の墓です。おそらく、ここが石川麻呂の館であったと思われます。当時の蘇我氏は「大陸開明派」と言われています。今でいう国際協調派であり、儒教や仏教によって国を治めて行こうとしていました。その思想の核心が、聖徳太子によって伝えられた「和を以て貴しとなす」です。
その対極をなすのが、武闘派の物部氏や国粋主義の中臣氏でした。両者が衝突するのは必然であり、ついに587年、物部守屋は蘇我馬子と厩戸皇子(後の聖徳太子)によって滅ぼされます。しかし、その反動で645年に大化の改新が勃発して、中臣鎌足は中大兄皇子(後の天智天皇)と共に蘇我氏を亡ぼすのです。
ところが、さらにその反動で672年壬申の乱が起こって、大陸開明派が権力を握って律令制度がはじまるのです。その中心が天武天皇ですが、それを支えたのがこの地の出身である村国男依でした。もちろん村国男依は、儒教や仏教を尊ぶ大陸開明派ですが、おそらくこの近くの出身であろうと思われます。
そして、それに繋がるのが、後の護命僧都や鏡久綱、そしてこの安積清右衛門や「お獅子様」なのです。ゆえに、その志(こころざし)は「和を以て貴しとなす」なのです。つまり、平和や人権を尊ぶ民主主義こそ、この蘇原地区の伝統なのです。
為真三本桜
岐阜県郡上市白鳥町為真(ためざに)という所に三本の桜の木があります。とくに真ん中の木は、天然記念物である根尾の「淡墨桜」の子どもと言われて、大切にされています。といっても「ひこばえ」ですが、確かに他の二本に比べるとピンクではなく薄墨色です。また、そこが「しぶい」ところですね。
営林署の元職員の委託を受けて、前畑誠治という人が、その子孫と共に大切に育ててきました。この奥美濃の小さな村の数少ない村人の楽しみが、まだ寒さの残る春のおとずれとともに、物静かに花開くこの三本桜です。
〽 郡上のなぁ~ 為真 三本桜
親が枯れても 子が残る
子が残るノ 子が残る
ア ソンデンセ~
と、郡上一揆の義民の「こころざし」が、悲しい思い出とともに、今日に伝えられています。
ヤフコメの問題について
ヤフコメを提訴しました
ヤフコメが、いくら匿名とはいえ、あんまりにも酷いので嫌になりました。そこで、私は実名で顔写真を付けて投稿しました。こうして、責任の所在を明らかにして、酷いコメントを批判しました。そしたら、なな何と! 私が投稿停止措置を受けてしまいました。つまり、永久に投稿できなくなってしまったのです。
これは、いくら何でも酷いので、ヤフー株式会社に停止措置の解除を要求しました。そしたら、「表現の自由は無制限ではありません」という回答がきました。理由は、私の投稿が、特定の個人に対する誹謗中傷であり人権侵害だというのです。
しかし、私はそんなことは一切していません。ただ、余りにも酷いコメントを「批判」しただけです。思うに、ヤフーは、平和や人権という民主主義的なコメントを排除して、いわゆるネトウヨの純粋培養を目指しているようです。
そこで、私は投稿停止措置の解除と慰謝料100万円を請求するために岐阜地方裁判所に提訴しました。ご興味のある方は、仰っていただけば、訴状ご覧いただけるようにいたします。